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ルネサンス後期 Page.1

フランスのシャンソン

16世紀に入ると、フランドル楽派の音楽家が各地で撒いた種が大きく実を結び、各国出身の音楽家たちが活躍するようになります。たとえばフランス語で書かれた多声の歌曲(シャンソン)は、当初はフランドル出身の作曲家たちが作曲していましたが、フランスにクレマン・ジャヌカン(1485年頃~1558年)やクローダン・ド・セルミジ(1490年頃~1562年)などの作曲家が登場し、それまでとは違った新しいタイプのシャンソンを作曲し、パリでピエール・アテニャンが刊行した印刷楽譜を通してひろまっていきました。彼らのシャンソンの特徴は和声的でシラビック形式(歌詞の1音節に一音符をあてたもの)で書かれ、歌詞も鳥の鳴き声を模倣したものや恋愛など楽しいものが多いのが特徴です。

セルミジ 4声のシャンソン《花咲く日々に生きる限り》

▼上演奏の譜面(※楽譜を下にスクロールすると続きが見られます。)

セルミジは王室礼拝堂の歌手等を経た後に、パリの王室礼拝堂付き聖歌隊副楽長を務め、宗教曲や世俗曲を数多く残しました。《花咲く日々に生きる限り》はそんなセルミジの世俗歌曲の名曲。歌詞はおおよそ以下のようなことを歌っています。花咲く日々に生きるかぎり、全能の王である愛に仕えよう。行ないや言葉や歌や和音で。愛はなんども僕をやつれさせたけれど、大きな悲しみの後で喜ばせてくれた。美しい人の愛を与えてくれたのだから。この絆は僕の調和、彼女の心は僕のもの、僕の心は彼女のもの。悲しみよ、去れ。喜びよ、万歳。愛には良いことがたくさんあるのだから!