ドイツのハレに生まれ、ハンブルクでオペラの修行をしてイタリアへ。各地で本場のオペラを学び、オペラ作曲家としてデビュー。北ドイツのハノーファー選帝侯の宮廷楽長にスカウトされますが、英国に渡りロンドンでオペラ作曲家として活躍。晩年は彼のオペラの不人気などからオラトリオの作曲に向かいました。
オペラに《リナルド》《ジューリオ・チェーザレ》などのオペラ、《水上の音楽》《王宮の花火》《合奏協奏曲》などの管弦楽曲、《エジプトのイスラエル人》《メサイア》などのオラトリオがあります。
♪《メサイア》の「ハレルヤ・コーラス」
演奏:洗足学園音楽大学
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《メサイア》は作曲家晩年の1742年4月13日にダブリンで初演された、全3部からなるオラトリオ。新旧約聖書からテキストが採られ、救世主イエス・キリストを主題とし、ソリストのレチタティーヴォとアリア、重唱や合唱で演奏されます。有名な「ハレルヤ・コーラス」は第2部、キリストの受難に続く復活の場面で歌われます。
中部ドイツのアイゼナハにルター派プロテスタント教徒の音楽家一族に生まれ、教会のオルガニストの他、ケーテンの宮廷楽長、ライプツィヒのトーマス・カントル(トーマス学校の音楽の教師)や市の音楽監督を務めました。オルガンの名人として知られ、多数のオルガン作品や200曲近い教会カンタータ、《ヨハネ受難曲》《マタイ受難曲》《クリスマス・オラトリオ》《ロ短調ミサ曲》などの宗教曲(とりわけルター派プロテスタント教会のための音楽が重要です)や《ブランデンブルク協奏曲》や《管弦楽組曲》などの管弦楽曲、《平均律クラヴィーア曲集》や《ゴルトベルク変奏曲》などの鍵盤楽器のための作品があります。
J.S.バッハは若い頃からドイツの鍵盤音楽の伝統の中で育ち、フランスやイタリアの優れた音楽から多くを学んで自らの音楽に取り入れ、きわめて完成度の高い音楽を数多く残し、その後の音楽家たちに多大な影響を与えました。その影響は現代にまで続いています。
また、二人の妻との間に生まれた子供のうちヴィルヘルム・フリーデマン Johann Friedeman(1710年~1784年)、カール・フィリップ・エマヌエル Carl Phillip Emannuele(1714年~1788年)、ヨハン・クリストフ・フリードリヒ Johann Christoph Friedrich(1732年~1795年)、ヨハン・クリスチャン Johann Christian(1735年~1782年)の4人の息子たちは、その後の前古典派の時代の音楽を代表する音楽家として活躍しました。
▲バッハの肖像画
♪《ブランデンブルク協奏曲》ニ長調第5番BWV1050(冒頭のみ)
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▼ 自筆譜(クリックで拡大)
フルート、ヴァイオリンとチェンバロのソリスト群と通奏低音を含む合奏群からなる協奏曲で史上最初のチェンバロ(ピアノ)協奏曲ともいわれています。