シンフォニー"NO.9"にまつわる不思議なジンクスについての講義です。
佐藤昌弘
オーケストラ音楽の頂点である交響曲は、オペラと並んでクラシックを代表するジャンルですよね。
交響曲は、いろんな作曲家が書いていて、名曲がとってもたくさんありますが、そのほとんどは楽章がいくつもあって演奏時間がやたらと長く、作曲家の思い入れがタップリと込められた見事なまでに立派な「大作」です。
交響曲をこんな大ゲサな音楽にした張本人は誰かといいますと、それは古典派のドイツの作曲家、L.V.ベートーヴェン(1770-1827)なのです。
ベートーヴェンは57年の生涯で9曲の交響曲を残しました。
それに対し、ベートーヴェンの師であったオーストリアの作曲家、F.J.ハイドン(1732-1809)は77年の生涯で104曲もの交響曲を残しています。
ハイドンは交響曲の形式を最初に確立した作曲家であることから、「交響曲の父」などと呼ばれることもありますが、それにしても104曲とは、ずいぶんと量産したものです。
こんなに交響曲をたくさん書けたのは、もちろんハイドンの力量によるところが大ですが、ほとんどの曲がある程度パターンにそって作曲されたことと、のちの時代の交響曲より曲の長さもオーケストラの規模も小さかったためです。
ベートーヴェンはハイドン先生より20年若くして亡くなったとはいえ、作った交響曲の作品数が一ケタと三ケタではあまりにも大きな違いですよね。
それは、ベートーヴェンが交響曲を量産できなかったのでなく、量産しようとしなかったからであり、交響曲の一作一作を、たくさんのエネルギーと時間をかけて作り上げた「問題作」にしようとしたのでしょう。
一作一作を問題作にするためには、ワンパターンが最大の敵で、前と同じような曲を書くわけにはいきません。
一作ごとに作曲家としてのキャリアと才能と意地をかけて新しい世界を切り開いていくわけですから、そりゃあ、たくさんは書けませんよね。生涯に9曲が限度だったというわけです。
ただしその9曲全部が、音楽史上に燦然と輝く名曲となったところがベートーヴェンのスゴさでした。
ベートーヴェンは新しい交響曲を書くたびに、ハイドン先生の作り上げた交響曲のルールをつぎつぎ打ち破っていき、しまいには『第九』(=交響曲第9番ニ短調作品125)で声楽まで持ち込み、「交響曲は器楽音楽である」という交響曲の根本的な定義すら、くつがえしてしまったのでした。